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help RSS 戦中・終戦後の浜松一中・静岡高の青春

<<   作成日時 : 2011/04/21 19:09   >>

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 「泉 次代への贈りもの−〈静岡篇〉」(星文社 2002)の中に浜松市出身で読売新聞社大阪本社代表取締役会長を務められた加藤博久氏(−2002)の戦中・戦後の思い出が書かれており、参考になるので紹介しておきます。加藤氏は終戦を浜松一中(現浜松北高)の3年生として迎えたそうですが、授業らしい授業は1年生の時だけであと2年余は様々な学徒動員の作業に明け暮れ、浜松の竜禅寺町にあった中島飛行製作所ではエンジン部品作りを手伝い、佐鳴湖近くの農家で薩摩芋掘り、森町では木材運びをしたそうです。浜松一中では原子物理学者で東大総長・文部大臣・科学技術庁長官を歴任された有馬朗人氏と同窓でそれ以来半世紀の親交があったそうです。

戦争が終わって、浜松一中の通学生活にもどった時、戦火のない日々はなんて明るいものかと思い、自らの将来にも希望を抱くようになった。そんな時、三人の教諭の戦争協力責任を問うパージの話が聞こえてきた。国語のM先生は軍国思想を鼓舞し、地理のH先生は南方方面の占領政策を支持、体育のS先生は軍国的教育をしたということで、教職員適性審査会の審議対象になっているという。
「三人の先生を救おう」という声が友人たちの間で起こり、数人と相談しながら嘆願書を書き、わたしの自宅二階で血判を連署した。そして静岡市に行き、審査委員長に会って嘆願書を手渡した。数日後、三教諭ともシロという結論が出たことを知って、同志の友人たちと小踊りしてよろこんだものである。
 その中に有馬朗人君がいた。彼は父親を早く失い、母親と二人の生活をしていたが、天才というのか、戦時下の中学初年時に「アインシュタインの相対性理論を読んだよ」とか、「ビクトル・ユーゴーはいいね」とか、幅広い読書の感想をもらしていた。嘆願書事件でも、熱心に推進した行動派でもあった。同君は原子物理学者として名を成し、東大総長―文部大臣―参議員議員となったが、俳人としても有名で、「天為」を主宰して全国に出子を持ち、遠州にも二つの句碑を建てている。半世紀親交のある畏友だが、浜一中はともに四年で修了し、彼は武蔵高へ、わたしは静高へ進んだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E6%9C%97%E4%BA%BA ←有馬朗人氏について
 静高時代はモノ不足の戦後ではあったものの、夢多く何ものも恐れぬ奔放な生を養えた。大岩宮下町のキャンパスの中にあった仰秀寮は四棟あり、わたしは映寮に入ったが、窓外に放尿する寮雨に驚き、やがて恥じらいもなくするようになったり、寮歌を歌いながら肩を組んで、廊下を踊り歩くストリームに酔い痴れた。
 土曜日に帰浜し、母が都合してくれた白米をリュックに積んで帰ると、同室の先輩が「コッフェン(飯炊き)だぁ」と叫ぶ。電熱器に乗せた飯盒の米が炊きあがるころ、近くの部屋の僚友たちが集まってきて、醤油をかけただけの飯盒の飯を、スプーンで食べ合うのである。酒も副菜もない中でドイツ哲学を論じ、ボードレールの「悪の華」を論じる者もいる。
 わたしは文科丙類(第二外国語がフランス語)だったが、隣室にいた浅尾新一郎(-2010)さんは文科甲類(英語)、松浦徳久さんは理科乙類といったように、文科・理科の学生が入りまじっているので話題は幅広かった。浅尾さんは外務省に入り、ノルウェーやイタリアの大使などを勤められた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E5%B0%BE%E6%85%B6%E4%B8%80%E9%83%8E ←浅尾新一郎・慶一郎氏について
松浦さんは静岡市で開業医となった。中曽根康弘元首相や根本二郎元経団連会長、経済評論家の竹内宏君、国立劇場の元理事で伝統芸能の著書が多い藤波隆之君など、ずっとおつき合い頂いている同窓の先輩・友人は多い。中曽根さんは十三回も上の大先輩だが、わたしが政治記者になって間もなく、取材でお近づきを得、防衛長官、自民党政調会長時代を担当。総理時代は政治部長、編集局幹部としておつき合いをし、旧制静高同窓による中曽根後援会でも、時々お会いしている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E4%BA%8C%E9%83%8E ← 根本二郎氏について

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B3%A2%E9%9A%86%E4%B9%8B ← 藤波隆之氏について
http://www3.shizushin.com/anniversary/shizukou125/ ← 静中・静高創立125周年

加藤博久
1955年読売新聞社入社。政治部長、編集局長、副社長などを経て、97年から2001年まで大阪本社社長。2001年3月から同会長。2002年10月19日死去。亨年72歳。

大佛次郎研究会会長の村上光彦先生(1929−)も静岡高卒業生です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E5%85%89%E5%BD%A6 ←村上光彦氏について
http://magnoria.at.webry.info/201102/article_100.html ← やぐらの岩壁の向こうで 
http://www5a.biglobe.ne.jp/~mishik/sub10.htm ← 学友からの贈り物
相沢啓三(1929−) 詩人,音楽評論家。
昭和4年12月10日生まれ。昭和28年朝日新聞社にはいり,美術図書,「アサヒカメラ」の編集長をつとめる。平成17年詩集「マンゴー幻想」で高見順賞。山梨県出身。東大卒。著作に「猫のための音楽」「オペラの快楽」,詩集に「狂気の処女の唄」「孔雀荘の出来事」など。
http://blog.goo.ne.jp/blue1001_october/e/f76e4f9015246c16730506ec8eb700bd ← 須藤徹の「渚のことば」

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