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ちょうど良い機会なので紹介させていただきますが、私の大学時代のクラスメートである守永直幹さんが、10年来のベルクソン研究の成果を「未知なるものへの生成―ベルクソン生命哲学 」(春秋社)という一冊の本にまとめられ、今年の春に出版されました。 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4393321014.html 守永さんは1962年生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科人文専修卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科仏文学専攻博士課程単位取得満期退学。同大学院博士課程修了。フランス思想・文学専攻。現在拓殖大学・宇都宮大学で非常勤講師として教鞭を取られています。 この本はもっぱら専門家のためのもので、必ずしも一般の人の人生に直接役立つ本ではないそうです。私も読んでみましたが、ベルクソンが言わんとしていることはなんとなく分かるような気がしますが、この本を本当に読みこなすにはあらゆる文献にあたる必要があります。守永さんにベルクソンについて簡単に説明していただいた内容は次の通りです。 ごく感覚的な言い方をすれば、ベルクソンはこう言おうとしている。 ――人生はどこまでもしなやかで柔らかく、暖かいものでなければならない。 毎日が新しいものの実現でなければならない。それを強ばらせ、おなじことの 繰り返しにさせるような物質の力に抵抗しなければならない。 こうした新しい時間の到来のことをベルクソンは「純粋持続」と呼び、自らの 時間論の中軸に据えました。感覚的には誰にでも解るはずのことなんですが、 実際にこの新しいものの次元を正確に理解しようとするのはなかなか難しい。 社会から与えられた自分にたいするイメージを引き裂き、自分の内側に深く 降りて行かねばならない、とベルクソンは述べています。新しいものに出逢う ことは苦痛を伴うのです。 私なりの理解では、要するに「常に新しい自分と出会うためにチャレンジをせよ」という意味だと思うのです。そう考えるとベルクソン的な生き方は今まさに求められているように思います。私も「自分はこういう人間だ」と思ってしまったらおしまいだと考えています。 守永さんは、今の世間では、専門ごとの細分化が異常なまでに進んでいて、専門にこだわらず何でも読むという読書人が壊滅しつつあり、そんな専門化の趨勢に抵抗するためにベルクソンを専門に選ばれたのだそうです。ベルクソンは驚くべき巨大な学識の持ち主で、専門の壁にこだわらず、じつに多種多様な学問を我が物にした百科全書的な知識人であり、ベルクソンを専門にすることは、ある意味、森羅万象を相手にすることなのだそうです。 |
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ご無沙汰しています。全く勉強不足ですが、「感覚的には誰にでも解るはずのこと」が解らないのは注目ですね。そして「それを強ばらせ、おなじことの繰り返しにさせるような物質の力に抵抗」は、後の世代に大きな影響を与えているのを容易に想像出来ます。最近も係わる事の重要さを説く仏女性映画監督のインタヴューを読んでなるほどと思いました。私はそこにある種の破瓜感覚を見ます。フランクフルト学派に思いを寄せていたところなので、気持ち良くこれを拝読しました。 |
pfaelzerwein URL 2006/12/15 19:16 |
pfaelzerwein様、ご無沙汰しておりました。お元気でしたか?コメント有難うございました(^^)。自分の成長を阻む力に対しては常に抵抗しそれを柔かく跳ね返していく、そういう意味で人生は常に闘いだと私は思っています。フランクフルト学派と言われてにわかに反応ができない私なのですが(^^;、エーリッヒ・フロムやベンヤミンは読んでみたいなあと思っています。 |
magnoria 2006/12/16 04:00 |
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