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「私の 唯一にして 最大の幸運は ごく若い中に 私の姿をはっきりと映してくれる鏡、 私の分身である女性 ボナに出会えたことである」 これは、マンディアルグの有名な言葉である。 実際詩人にとって、霊感的女性ほど重要なものはない。だが、マンディアルグのように、完全に自分を映してくれる分身に出会い、錬金術的結婚がなりたつ場合は、ごくまれなことなのだ。彼は74歳をすぎたいまもなお、創造の泉が枯れない。 この、マンディアルグ文学を、完成へと導いた女性、彼の唯一人の、パーフェクトな霊感女性であるボナとは、どんな女性なのだろう。 彼女は画家なのだ。私は、彼女を一目見たとき、女性の顔では、はじめて、肖像画を描きたい欲望にかられた。同時に、彼女の妹でもあるような感覚をもった。それは、彼女が画家であるからだったのだろうか。 美しい人だ。秀でた額、大きな感受性の強そうな瞳、若いときは、ヨーロッパで五本の指に入る美人といわれていたそうである。 マンディアルグは、若い頃、レオノール・フィ二とボナと三人で住んでいた。といっても個人所有のホテル形式の大きな家の一階、二階、三階と別れて住んでいたのだった。 レオノール・フィ二もあの才能である。詩人マンディアルグとの錬金術的関係が必要だったのだろう。彼女は、マンディアルグによって、自分の芸術を肥やしていく、これに対して、ボナは、与えてしまうのだ。マンディアルグは、こんなボナを愛した。 そして、詩人と画家の錬金術結婚と、現実の恋愛結婚と二つの結合のなされる「完璧な結婚」をした。 だがこの結婚は、相克の愛の葛藤の歴史であった。ボナは何よりも前に霊感女性である。絶対の自由の中に、魂は解放されている。そして、あらゆる行動が、純粋直感だ。星の緊張と緩和をそのまま身体に受ける。 マンディアルグと結婚して数年のち、ボナは詩人オクタビオ・パスに向かってまっすぐ走った。そして、マンディアルグとは、離婚する。このときの、マンディアルグの苦しみは、どんなものであっただろう。だが、八年ののち、再び、ボナを、そばにひきよせて、再婚したのである。 ボナの純粋直感は、詩人の才能を決して、見誤ることはない。 1971年に、彼女はわが国の三島由紀夫に夢中になった。彼の自決以後である。 マンディアルグは、彼女のミューズのアンテナが、激しく震動するのを、冷静に見詰めていた。そして、彼女を通して、三島由紀夫を発見することになる。 こうして、「サド侯爵夫人」はマンディアルグの手によって、十八世紀フランスの貴族の言葉に、翻訳された。そして、三島由紀夫の真価が伝わったのだ。フランス現代文学の作家たちの中でも、十八世紀の貴族の言葉を正しく、美しく書けるのは、マンディアルグしかいないといわれている。三島由紀夫の文学は、これを契機に、この後も続々と翻訳、出版されていった。 ボナはいま、三島由紀夫の霊界の魂と恋愛をしていて、毎夜、会話を交わしているといっている。ボナの寝室には、長さ一メートル大の、三島由紀夫のポートレートが飾ってある。こんなボナを見詰めて過ごしてきたマンディアルグの心の葛藤は、いかなるものであっただろう。彼のダンディズムは、いっさいそれを表にはみせない。 魂が流した血は、創作の中に、結晶していく。マンディアルグは、強い芸術家である。中でももっとも強いと思えることは、確実に、自分の分身を見抜いた洞察力と、それをいかなるときも失わないようにしたことであろう。 (「月時計のパリ」(平沢淑子 講談社 1984)) 付記 この本が上梓されたのは1984年6月9日 聖ディアーヌの祭りの日でした。 |
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レオノーラ・カリントン
私は以前から、ファム・ファタール(宿命の女)というのに興味があって、それに類する本をいくつか持っている。ルー・サロメとかアルマ・マーラー・ウェルフェルとか心惹かれる女性はたくさんあるけれども、女流画家というのはやっぱりちょっと憧れの度合が違うという感じがする。私は子供の時から絵が好きで高校時代は美術部で絵を描いていたこともあるし、大学に入学した当初は美術史を専攻しようかと思っていたし、今も時間とお金の余裕さえあれば美術を深く勉強してみたい気がする。シュールレアリスムの女流画家に関しても妙... ...続きを見る |
magnoria 2007/07/31 18:05 |
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