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<<   作成日時 : 2011/07/02 09:05   >>

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小川   ヒメネス  伊藤武好/百合子・訳

プラテーロ、
この小川はすっかり干あがってしまい、
今では、そこを通ってカバーリョスの農園へ行けるのだが、
その昔の姿は、
色あせた私の古い記憶の中にものこっているんだよ。
あるときは、
在りし日のままの小川として、
牧場の古井戸のかたわらを流れ、
その岸には、
日の光を浴びたヒナゲシや、たれ下がったスモモの木が現われる。
またあるときは、
私の心の中の小川として、
何かほかのものにたとえたり、
それらと重なったりして、
実際にはありもしない、
あるかかなたの地を流れていく・・・・
私の幼い空想は、
その小川から、
いくつかの新しい発見をしたときのよろこびで、
ほほえみかがやいたものだったよ、
プラテーロ。
太陽に向かっているアザミの花のようにね。
その小川、
つまりリャーノスの小川は、
風が歌うポプラの小さな林を通って、
サン・アントニオへ行く道を横切っている小川だったということや。
夏になると干あがるその小川を歩いていくと、
ここに出るということや、
冬になって、
あそこのポプラの木のそばでコルクの小舟を投げ入れると、
アングティアスの橋の下をくぐり、
牛の群れが通るとき
私のかくれ場所になったこのザクロの木々のところまで
流れて来るということなど・・・・
おまえはどうか知らないが、
幼い頃の空想というものは、
なんとすばらしい魅力だろうね、プラテーロ!
それはみな、たのしい変化を見せながら、
遠ざかり、また近づいてくる。
心に浮かぶ幻想の絵のように、
すべてが見えたかと思うと、また見えなくなる・・・・・
そして、
人びとは人生の裏も表も眺めながら、
それでいて、なかば盲目のように歩み、
ときどき心の暗がりの中に、
人生の苦しい思い出を捨てているのだ。
あるいはまた、太陽に向かって開く花のように、
明るく照らし出された魂から詩を生み出しながら、
ふたたび思い出すこともない真実の岸辺に、
その詩をおきわすれているのだ。

(「プラテーロとわたし 春・夏」(フォア文庫))


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そういえば、藤城清治さんの展覧会でもプラテーロに出逢いました。プラテーロが死んでしまった後、ヒメネスは友人が作ってくれたプラテーロの切り紙の人形をプラテーロのように大事にしていたそうです。
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