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今まで、児童文学を論じたもので読んでためになった本はあまりないのだけれど、「改定 児童文学へのいざない 児童文学ハンドフ”ック」(原昌 建帛社)はとても得るところが多かった。 詩は文学形態としてもっとも古く、文学の他のジャンルもここから出発している。 アメリカの研究者M.H.アーバスノットはいう。 詩は単に経験を与えるのではなく、経験の意味するものを与える。単に吹き荒れる風でなく、夜の風の音に宿る神秘の感情を与える。 これと同じことを、E.ファージョンもいう。かの女は<子どもたちが散文から得られないどんなことを詩からうるのか>という問に対し、それは「バラでなくバラの香りだ」とこたえる。バラの形は散文的だが、むしろバラの本質は香りで、それがまたバラ独自の生命であるともいえる。 詩人たちは、事物や事象の奥にある生命の根源に迫ろうとする。だから、詩人たちは私たちが見えないものを見せてくれる。Seer(洞察者)といわれるのも、このためなのだろう。子どもの詩として異なっていることは、かつての幼き日におとなたちが残してきた新鮮な感覚と鋭い洞察力とを、子どもの詩が甦らせてくれるということだ。 この箇所を読んで、ベルグソンが『試論』」で次のように述べているというのを思い出した。 バラの香りを嗅いだとたん、子ども時代の思い出が取りとめもなく甦える。実際にはバラの芳香で思い出が呼び起こされたのでは全然ない。芳香そのものに私は思い出を嗅ぐ。私にはバラの香りはそれらの思い出の一切だ。ほかの人たちはまた別の感じかたをするだろう。 (「未知なるものへの生成 ベルクソン生命哲学」(守永直幹 春秋社)参照) ファージョンは、もしかしてベルグソンを読んでいたのでしょうかね? http://mabusabi.at.infoseek.co.jp/sub6.htm ←まぶさび花(篠原資明氏HP) |
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河合隼雄『子どもの本を読む』、『ファンタジーを読む』などいかがでしょうか。 |
ちーぼー 2008/07/25 08:11 |
ちーぼーさん、返事遅れてごめんなさい(^^;。最近また児童文学をきちんと読みたいと思うようになりました。ファージョン、エステス、レアンダー、ヴィーへルト、トペリウス…、作品と生涯についてもっと良く知りたいと思っています。 |
magnoria 2008/08/21 22:17 |
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