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今日の新日曜美術館は東山魁夷の特集だった。 http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2008/0504/index.html ←新日曜美術館(東山魁夷 風景は青く響く) 東山魁夷といえば誰でも一度はその作品を目にしたことがあるはずで、私にとってもあまりにもポピュラーで深く気にとめることのない存在だったと思う。けれど、今日この番組を見て、東山魁夷が戦後の日本とは逆の道を行った人であることを知り、その静謐な世界を川端康成が深く愛し、心の糧・心の救いとしていた気持ちが私には良く理解できる気がした。そして去年私がコンサートを聴きに行った館野泉さんが、東山魁夷が北欧に引かれて絵を描いていたのと同じ時期(私がこの世に生を受けた1964年・東京オリンピックの年)にフィンランドに居を移していることを知り、改めてこの2人に親しみを感じた。 http://magnoria.at.webry.info/200710/article_94.html ←舘野泉リサイタル かねてから私がその文章を愛読してきた大伴道子さんは、川端康成について次のような文章を書かれている。 昨日甲板で本を読んでいましたら、ひとりのフランス人が『雪国』の仏訳本を見せて、今これを読んでいるのですが、川端はなぜ自殺したのでしょう?と聞いてきました。 私は答えました。彼は美を愛する人でした。ですから、今彼の愛する日本から、美が失われてゆくのを見るに堪えられなかったのでしょう、と。 私のいう美とは、形の上の美だけではなく、それ以上に心の美の失われてしまった現代日本を、川端さんはどれほど嘆かれた事であろう、という意味で話しました。あなたの答えは哲学的だ、と言われましたが。 それは私自身この地中海の船の旅で、ひしひしと心に感じられた事でした。時折青い波の底に、このまま引き込まれてゆきそうになるので、自分で愕くこともありました。空も海も信じられない澄明な青さで、その中にいると私の心は言い様もない悲しみに閉ざされてしまう事がありました。亡びに近い故国の荒廃に、かなしみに似た瞋りが胸を占めて、思うのでした。日本を荒廃に導いたものは何か、と、思えば、人間の欲望の怖ろしさを、釈尊は既に三千年の昔に深く憂い、得がたい真理の教典を遺されたのですが。 そして又思うのです。川端さんの死を別の見方をすれば、氏もまた人間の持つ最大の野心を、遂に潔く果たしたのだ、と言えるかも知れない、と。 フランス人は親を大切にします。そして個人主義の本当の良さを生きています。それは根底に人間というものを忘れない愛ふかき心、かなしみを知る心があるからです。豊かな心が物質よりも尊いことを知っている民族だからです。外形だけで物を判断する貧しさは卑しいと思います。その根底のものを見ないでどうして本質を理解することが出来ましょう。 こちらの人は又物を大切にします。それは今までにも色々心ある人々に言われてきた事ですが、ひとつの物に対しても、愛情ふかく使うということ、かりそめに物は、だから作らないのです。その事はすべてのものに対して言えるわけで、それがまた総てに及んでいます。ここにも心の深さというか本質につながるものを感じます。都市造りにもその事は見られます。良いものは百年を経ても良いものであること、クラシックとは基本的という意味を含めて今でも尊重されるわけです。古いもの、それは新しいものより秀れていないという意味にとられる現代の日本の考え方の根本にまちがいがあります。良いものそれはいつも新しい、と言えましょう。 三島の死、川端の死を、日本人は本当に心の底から考えたでしょうか、彼らの死を小さい感情や偏見だけで扱う人のあったのを見た時、私の心は激しく瞋りにおののきました。彼らが生命をもって示すものに、愕く心が欠けてはいないだろうか、小人的な見解などで一人の人間の死を見ていはしなかったか。彼らが秀れた人であっただけに、彼らの死は全世界の人の疑問になっています。この船の人だけでなく、私は巴里でも、会食を共にしたいく人かの人に質問を受けました。日本人こそもっと深く彼らの死について考えるべきだ、と思いました。今の日本の人には物を深く見つめることに欠けているところが有ります。まして歌詠む人なら尚更、そうあるべきだと思いました。 (『泉のほとりにて』(大伴道子 書肆季節社)より) |
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