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help リーダーに追加 RSS 説明責任というけれど

<<   作成日時 : 2007/08/30 08:49   >>

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 朝青龍問題で、マスコミは朝青龍には説明責任があるというふうに言っている。そしてあたかも朝青龍がわざと黙っているような解釈をする人も多い。けれどあれだけの精神的ショックを経験したら何も話すことはできなくなってしまうのだと思う。私はリストラに遭って家族を含めて周囲の人から受けた仕打ちに「もう何を言ったって分かってもらえない」と一言も話す気力がなくなってしまったのだ。それは何年続いただろうか。私は両親にも一言も口を利くことができなくなってしまったのだ。そしてある時、体調が悪くて病院に行かなくてはならないと自分で決心した時に、両親と口を利いてそして病院のお医者さんと面談した時にまたひどい事を言われ私はその時から何も物を感じることができなくなってしまったのだ。それまで好きな本やテレビを見て過ごしていたのにそれさえもできなくなり、一分一秒が過ぎるのが恐ろしく遅くなりはやく死にたいとそういうことばかりを考えるようになった。今思えばうつ病だったのかもしれない。けれどその時はそういう症状は自分一人だけだと思い込んでいた。そしてある日義兄の母が亡くなった時なぜか心臓がドキドキして精神的に不安定になってしまった。そして自殺未遂。けれども両親はそれでも何かを反省した様子もなかった。今思うとあの時死ななくて良かった。死んでいたらただ私は「弱かった」それだけで誰にも悲しまれることなく闇に葬られていたと思う。朝青龍は話さないのではなく、話せないのだと思う。そしてそれを強いているのは日本の社会なのだ。私は、朝青龍が巡業を休んでサッカーをしていたことがすべてを失うほど罪の重いことなのかと疑問に思う。大相撲界の信用を失墜させたと言われるけれど、それ以前にもう信用は失墜していたのではないか?それを朝青龍だけの責任のように言うのはおかしい。責任を負うべきはむしろ日本相撲協会の方ではないのか?それに教育が悪い指導が悪いという言い方をするけれどそれだけの問題なのか。病根は日本社会そのものにあるのではないか?私はそう思う。

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