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help リーダーに追加 RSS もう傷つきたくないから

<<   作成日時 : 2007/07/16 18:12   >>

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 今日コミュニティーセンターに実のお母さんを看取ったばかりという方が見えた。Kさんが「この節は」と声をかけると「何も思うようなことはしてあげられなかったけれど」と声をつまらせておられた。10ヶ月間、介護施設には行きたくないということでずっと自宅で寝たきりの生活だったそうで、他に家族がいてもきっとそれは孤独なつらい体験だったのだろうということが看てとれた。
 私は2歳になる少し前に曾祖父を亡くしている。物心つく前だったので肉親の死をどのように自分が受け止めたのかということは自分ではわからない。けれどきっとそれは天と地がひっくり返ってしまうような出来事だったのではないかと思う。自分を見守ってくれていた人が、ある日忽然と目の前から消えてしまう。そして曾祖父が亡くなる前は、きっと我が家は修羅場と化していたのではないかと思う。母は幼い姉と私を抱え、家事と介護、そして畑仕事までこなさねばならず、唯一の家族の夫は人が忙しくて困っていてもまるで意に返さない人だからだ。母はいまだにその時に体験を話そうとはしてくれないから、きっとそれは誰にも言えないようなつらい体験だったに違いないと思う。
http://magnoria.at.webry.info/200606/article_49.html
http://magnoria.at.webry.info/200606/article_108.html
その後、曾祖父のことは我が家では禁句のようになって私が最近両親から聞き出そうとするまで、両親からは何も聞かされてはこなかったのだ。その後、私は唯一私のことを心配してくれた祖母を除いて、大事に思う人の死を経験したことはない。
 今思うと、私は曾祖父を亡くした時に、心を閉ざしてしまったのではないかと思うことがある。もうこれ以上傷つきたくないから、私は本当には誰にも心を開かなかったのではないか?大事だと思える人をつくらないようにしていたのではないか?そう思うことがある。私はリストラに遭って誰からも見捨てられた時以外本当に傷ついた経験もないし、誰からも愛されたいと思い事実誰とも仲良くやっていける人間になった。でもそれは自分が二度と愛する人を失って傷つかなくても良いように予防線を張っているのではないか、そう思うことがある。誰からも愛されて誰も愛することができるけれど、結局私には唯一の人というのは存在しないのではないかと思うことがある。そう思うとやはりそれは悲しい。
http://magnoria.at.webry.info/200701/article_27.html
http://magnoria.at.webry.info/200611/article_12.html

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