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今日の午前中は地元の図書館で久しぶりに古典文学の講座を受けてきた。古典はきちんと勉強し直したいと思っていてこの講座も愉しみにしていたのだが、このところ風邪で体調を崩したりでずっと出席できなかったのだった。今日は「更級日記」を読んだ。 http://magnoria.at.webry.info/200610/article_35.html 「更級日記」は、平安末期を代表する物語である「夜半の寝覚」や「浜松中納言物語」を書いた菅原孝標女の晩年の回想記。私は、彼女が草深い田舎に育った心弱い夢見がちな文学好きの少女であったこと、一時期宮仕えをしたものの紫式部や清少納言が身を置いた華やかな宮廷生活とはついに無縁であったこと、父はぱっとしない中の下くらいの受領階級であり、無気力な老官吏の父と保守的な母の下でいたづらに花の盛りが過ぎて、気がつくと父母から頼られる立場のハイ・ミスになっていたこと、そういうことから彼女には興味があった。その後彼女は父と同じような受領階級の男と晩い結婚をして、子供を生み育て地味で堅実な家庭生活を送ったらしい。 菅原孝標女は菅原道真の子孫であり、母は「蜻蛉日記」の作者の異母妹だった。このように文学的に恵まれた血筋に生まれた彼女であるが、草深い田舎では書物も自由には手に入らず、ましてや「源氏物語」のような世界は夢のまた夢だった。13歳の時に父が任地の上総を引揚げるのに伴われて京に戻るのだが、戻った自邸はまるで旅の途中の山のように恐ろしげに草木の生い茂るような所で、とても都の中とは思えないような場所だった。そして縁者を通して内親王が下賜された物語の書物を手に入れることができた彼女は、夜昼それを読み耽ってもしかしたら「源氏物語」の夕顔や浮舟のような人生が自分にも訪れるかもしれないと他愛もなく考える。今日は、彼女が父の任地の上総を発って今日に戻る90日間の旅の中の、足柄山(箱根)から京都に戻るまでの部分を読んだ。 私が一番興味を持って読んだのは足柄山の山中で50歳くらい、20歳くらい、14、5歳くらいの三人の遊女が出てくるシーンである。この中の一人がこの地方で名を知られた遊女の孫であり、それ相当な下仕えとしても通用しそうな美しい女性で、その声の美しさも空に澄み上るようで、こんな場所に都会の西国の遊女も及ばないような遊女がいたのかと、一行が感じ入っていると、「難波の江口や神崎の遊女にはとても及びません」と言ってまだどこかに消えて行ってしまった。その後、富士山、駿河の清見が関、小夜の中山、浜名湖、三河、大津とその先々での印象が書かれているが、肝心の遠江で彼女は病気になってしまい、体調不良でほとんど何も覚えていなかったためその箇所の記述はほとんどない。 私が今日知ったのは、江戸時代よりも前にも関所があったこと、時代時代でルートが変わっていること、当時は旅館もなく泊まる先々で仮設のテントのようなものを建てて寝たこと、道の途中で行き倒れになる人は珍しくなく、都会に年貢を納めに行った帰りに死んでしまった人もいて、当時の旅は命がけだったということだった。現在は電車も新幹線も飛行機もあるが、私が大学に入学するために上京し都会で暮らしまた田舎に帰ってくるまで命がけで辿ってきた道を思うと、当時の状況と今の状況は本質的には何も変わっていないように思う。このように都会と田舎の間には深遠が横たわっていて、一歩間違えば行き倒れになってしまう、日本とはそういう国なのだ。私は名の知られた会社ではないが東京で宮仕えのようなものである秘書をしていたこともあるし、自分の置かれてきた境遇から旅行く人を慰める遊女には共感する部分が多い。 http://magnoria.at.webry.info/200610/article_52.html http://magnoria.at.webry.info/200609/article_48.html http://magnoria.at.webry.info/200606/article_114.html http://magnoria.at.webry.info/200602/article_18.html 私は数々の人生経験を経て、やっとこの「更級日記」を自分に引き寄せて読むことができるようになったのだ。だから本当に古典を読むということは、決してカルチャーセンターでお手軽に教養を身に付けるようにできることではないはずだ。真剣に生きた人間にしか、その本当の深さはわからないと思う。 |
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