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help リーダーに追加 RSS 人文主義者 中村真一郎

<<   作成日時 : 2006/12/13 19:26   >>

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 先日配布された「中村真一郎手帖」の中で鈴木貞美氏が「「死の影の下へ」をめぐって」と題する論文を寄せられている。鈴木氏はかねてから大正生命主義の昭和期への展開をつきとめようと考え、戦後派作家では、神秘体験をもつ中村真一郎に典型的な例が見てとれるのではないか、と考えてきたという。中村真一郎は1938年の秋には、その夏、追分で見舞われた神秘体験をきっかけにして、アンリ・ベルクソンの哲学などを勉強していたそうだ。プルーストが自らの小説をベルクソンの哲学の応用と語っていたことも関係していたに違いないが、少なくとも「物質と記憶」(1986)から「創造的進化」(1907)、「道徳と宗教の二源泉」(1932)あたりは読んだであろう、ということである。私は以前から神秘主義とか神秘体験というものに興味があったし、ベルクソンも少し勉強してみたいと思っていたので鈴木氏の論文に興味を持った。また中村真一郎は自らを「人文主義者」と規定していたのだが、二十世紀後半に、フランス人文主義にことよせて、オム・ド・レットルを名のった人は、戦後作家にはいないし、国際的にもいないだろうということだ。徳川期の漢詩文への関心とあわせて、そこには当然、中国や日本の「文人」への影も揺れる。二十世紀後半にオム・ド・レットルないしは「文人」たらんとすることが、どういう意味をもつものなのか、それも考えてみなければならないと鈴木氏は言う。鈴木氏の論文の中では中村真一郎の思想面について触れているが、中村真一郎が一高に入学した1935年前後が知識層の思潮が軍国主義に傾いていく分水嶺にあたる時期であり、中村真一郎はこの時期のヨーロッパで高まったリベラルな人類普遍主義、平和主義の国際運動、人民戦線と呼ばれることになる運動の母体をなす思想に影響を受け、とりわけその運動に立ったロマン・ロランの絶対平和主義を信奉した。第一次世界大戦開始時に平和を唱え非国民の扱いを受けスイスに亡命したヘルマン・へッセをロマン・ロランが支援したことや、ロランやへッセがインド神秘思想に関心を寄せたことなどをこの時期に中村真一郎は知っていたと思われるという。そしてこれが同時に中村真一郎の人文主義の土台を作ったと言ってよいが、その土台は日本の人文学ではないという。日本の官製の人文学は、ヨーロッパとちがって、文学部の哲学科に宗教学を配し、宗教をその内に抱え込んで編成されたために宗教と緊張を持たず、むしろ相互浸透しているのだそうだ。また私の尊敬する片山敏彦が中村真一郎や加藤周一に与えた影響は大きい。
http://magnoria.at.webry.info/200604/article_6.html
 私もいちおう文学部哲学科人文専修卒であり、一つの専門にとらわれずどんなことにも興味を持って勉強してきたつもりなので、中村真一郎の生き方は私にとってとても関心があるし、その業績を思うととてもその全体を把握することなどできないと嘆息するのだが、中村真一郎研究を通して私も少しでも文学というものを愛することができればいいと思っている。

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