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help リーダーに追加 RSS 足助次郎重範はウィリアム・テルのような人?

<<   作成日時 : 2006/11/23 14:46   >>

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 私は足助という町がなんとなくスイスのルツェルンに似ていると思ったのだが、ふと思いたってルツェルンがどんな街だったか調べてみた。
http://www.musashi.jp/persons/dokupubl/foto_luzern.html#先頭
ルツェルンは9世紀以来の歴史を持つルツェルン湖畔の美しい中世都市。ヨーロッパ最古(14C)の屋根付きの木造の橋カペル橋で有名だが、20年前に私が行った時に渡ったこの橋もその後火事で消失し架け替えられた。ワーグナーが1866〜1872年の7年間をこの地で過ごし、当時の家がワーグナー記念館として公開されている。彼は「神々の黄昏」や「ジークフリート」をこの地で作曲し、リストの娘コジマと結婚したのもこの家だった。ヴィクトル・ユーゴーもこの湖を「スイスの奇跡」と讃えたという。私がルツェルンを訪れたのはちょうど2月の謝肉祭(カーニバル)の時だったが、それも賑やかなものではなく、落ち着いた静かな保養地という感じだったのを覚えている。夏にはルツェルン国際音楽祭が行われるが、この地に移り住んだワーグナーを訪ねて世界中の音楽家が集まっては音楽会を開いたことに由来するもので、第一回の提唱者がリヒャルト・シュトラウスやトスカニーニだったという由緒あるものだ。
http://www.myswiss.jp/d/news/news.php?id=148
 このルツェルン近郊にアルトドルフというスイス建国の父ウィリアム・テル伝説の地がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AB
当時13Cは神聖ローマ帝国の君主であるハプスブルク家の権勢が絶大で、スイス人に対する弾圧は過酷なものだった。ウーリ州の狩人テルは、悪代官ゲスラーに敬礼しなかった咎で捕らえられ、「息子の頭にのせたリンゴを射落とせば助けてやる」と言われ、見事リンゴを射落とし最後にゲスラーへの復讐を遂げ、これを合図にウーリ、シュビーツ、ウンターワルデン三州の住民が一斉に蜂起しスイスの独立を勝ち取ったという筋書をシラーが戯曲化している。一方足助は平安末期以来足助一族の支配していた土地で足助七城という城があり、七代目の次郎重範が、鎌倉幕府打倒を目指した後醍醐天皇が大和笠置の山に立て籠もった時に、幕府側の武士を相手に豪弓で奮戦したことが「太平記」の中に記されている。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/asuke_k.html
山の住民はこのように弓の名手だったはずで、足助八幡宮には全国でも珍しい鉄砲を描いた古絵馬(1612年奉納)があり、東京オリンピックの時に射撃競技のプログラムの表紙やポスターに使用され話題を呼んだのだそうだ。
http://blog.canpan.info/asuke/archive/39
http://www5b.biglobe.ne.jp/~fes/tamesan.htm
調べてみると案外直感というものは正しいのですね!とにかく興味を持って調べていくことが大事なのだと思います。これぞモグラ勉強法というのです(笑)。
 (「各駅停車 全国歴史散歩24 愛知県」(河出書房新社 1982)参照)

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