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help リーダーに追加 RSS ラストメッセージ「愛と怒りと〜映画監督・木下恵介〜」

<<   作成日時 : 2006/11/08 01:43   >>

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NHKスペシャル ラストメッセージ「愛と怒りと〜映画監督・木下恵介〜」が放映されていた。木下恵介は「二十四の瞳」」「喜びも悲しみも幾歳月」などの作品で知られる戦後日本を代表する映画監督で、出身は浜松市である。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/061107.html
実家は浜松市伝馬町にあった尾張屋という大きな食料店でありこの家族との生活が彼の映画の原点となっているそうだが、この実家は昭和20年6月18日の浜松大空襲で灰燼と化している。常に「庶民=弱きもの」に寄り添っていたその格闘の人生は、弱いものが切り捨てられ強者の論理に流れがちな現代社会に疑問を投げかける。木下は高度経済成長で自分の撮りたい映画が取れなくなり松竹とも決別したそうだが、時代との対立は木下だけでなく小津安二郎もそうだったようだ。ちょうど四方田犬彦の「月島物語」(集英社文庫)を読んでいたのだが、「風の中の雌鶏」(1948)がこの本で取り上げられていて、翌年の「晩春」以降下町はごく稀な例外を別にすればすっかり画面から姿を消してしまい、かわって山の手や鎌倉に住む大学教授や会社重役の家族の生態が、ある種の距離感とユーモラスな諦念のもとに描かれるようになったという。「風の中の雌鶏」は小津が社会へのメッセージを直接なかたちで投げつけた最後のフィルムだという。
 木下恵介は浜松文芸館の初代館長でもあり、ここには木下恵介記念館がある。
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/culture_art/keisuke/index.html
  (参考文献 「遠州文学散歩」(菅沼五十一 浜名湖出版))
愛弟子だった山田太一さんは焼津市の小泉八雲没後100周年の記念イベントの時に講演を聞いたことがある。山田さんは八雲の後半生を描いたテレビドラマ「日本の面影」の脚本を手掛けた。焼津市は小泉八雲が晩年避暑地として何度か訪れた地であり、イベントの時には小泉凡氏等八雲の子孫の方達が出席されていた。
http://www.yaizu-shinkin.co.jp/bunka/ykmtop.htm
八雲の三男小泉清は知る人ぞ知るというあまり一般には知られていない画家であるが、その孤高の生き方は「人間 その面影と風景」(濱川博 木耳社 1975)を読み強く心に残った。木耳社創業者の私の伯父は小泉清とは交流があったそうだ。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-TITLE=%89%E6%89%C6%81E%8F%AC%90%F2%90%B4%82%CC%8F%D1%91%9C&W-AUTHOR=&RECNO=1&HITCNT=20
http://d.hatena.ne.jp/kate_dimanche/20060924
http://oki304.blog.ocn.ne.jp/lily/2006/09/post_fad6.html
http://plaza.rakuten.co.jp/ennohasikure/diary/200609220000/
焼津市では小泉八雲記念館を建設中である。
http://surugaki.exblog.jp/3769167/

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NHKスペシャル映画監督・木下恵介二十四の瞳・弱き者への愛と踏みにじる者への怒りを観た
放送は11月7日 NHK総合22:00 - 23:00 ラストメッセージ(全6集)のひとつとして、木下恵介監督の一生をたどった番組だった。僕が観ながら思ったのは木下恵介監督の作品、初期の、「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾歳月」などを観た時、僕は子供だったので、お涙だ頂戴映画だなと思っていたが今考えると、名もなき庶民を描き、「衝動殺人 息子よ」で家族愛を描きまがら犯罪被害者救済の基礎を築き、晩年の「この子を残して」では、原爆の怖さを描き戦争反対のメッセージを遺した偉大な監督だったのだと思った。 ...続きを見る
僕のつぶやき。 ネットの窓から。
2006/11/11 16:35

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