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help リーダーに追加 RSS 「努力して狭き門より入れ」

<<   作成日時 : 2006/11/07 16:46   >>

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今日は良い天気だったが、肌寒い強い風邪が吹いていたので家の中で静かに読書をしていた。最近じっくり本を読みたくなり、昨晩も「ゲド戦記」や「雪沼の周辺」を読んでいた。午前中も「ゲド戦記」を読んでいたが、11時頃に時々家に見えるキリスト教の団体の方が見えて、話をするうちに「努力して狭き門より入れ」というイエスの言葉が話題になった。私は自分の団体だけが正しいとするこの団体に関心があるわけではないのだが、キリストの教えは正しいと思っているので話を聞くことだけはしているのだ。「努力して狭き門より入れ」ということ言葉はジイドの「狭き門」の題名になっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E3%81%8D%E9%96%80

 「努力して狭き門よりはいれ。滅びの門は大きく、その道は広い。そして、これからはいるものは非常に多い。まことの命の門は狭く、その道は細い。そして、これを見いだすものは非常に少ない」
・・・
 ジェロームの目には、大勢の人たちがはでに着かざり、笑いうかれながら、長い行列をつくってとおりすぎていく光景がうつっていました。
 けれどもジェロームは、そうした仲間といっしょに歩けば歩くだけ、自分は一歩一歩アリサからはなれていくような気がして、それらの仲間に加わりたくないと思いました。
・・・
「まことの命の道は細い」
 牧師のことばどおり、あらゆる苦しみ、あらゆる悲しみをのりこえたとき、まじりけのない、清らかな心のよろこびが生まれてくるものだ、と思いました。
 「田園交響楽・狭き門」(ジイド 今官一 少女世界文学選12 偕成社 1973)から跋粋 

 私は小学4年くらいの時にこの本を読んだが、「田園交響楽」の方はとても好きだったが、「狭き門」の方は難解すぎたのか読めなかった。ジイドには最近興味があって「狭き門」も一度ちゃんと読まなければと思ったのだが機会がつかめなかった。でも今日聖書で「狭き門」の意味を知って、狭き門から入る道が自分の行くべき道なのではないかと思ったのだ。
私は普通の人が、マイホームが欲しいから、美味しい物を食べたいから、旅行に行きたいから仕事をするというのを聞いて、そんな人生つまらないのではないかと思ってしまうのだ。私の求めているものは人生をかけてやる仕事だし、そういう志を持った仲間と一緒に過ごしてこそ食事も旅行も愉しいのではないかと思う。自分の自慢話や他人のうわさ話をタネに食事をしたって一時愉しいだけで真に愉しい心に残る思い出にはならない。私はどんなに苦しくても危険でも夢を売り渡すことだけはごめんだ。
 30年ぶりにこの作品を読んでいて、小学生の時に夢中で本を読んでいたあの幸福な感覚が蘇ってきたのを感じた。抄訳なので1時間くらいですぐに読めてしまったし、武部本一郎さんの挿絵も私に中にある乙女ごころを満たしてくれた。今官一の文にも惹かれた。
http://myn.north-tohoku.gr.jp/kodawari/db03-m002-t012.php3
私は決してジュリエットのような人間ではなく、アリサに共感する部分が多い。自分がアリサのようになりたいと思ったことがあるのではなく、気がつけば自分がそういう型の人間だったという感じなのだ。そういう自分に対する諦念というようなものがあるし、ジュリエットのように生きたかったという気持ちもあるが、今やっとこの作品を読めるまでに成長した自分を発見できたのはうれしかった。

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