「高をくくられる」「強い者が報われる社会」
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作成日時 : 2006/10/10 09:46
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私は要するに「高をくくられている」のだと思う。車に乗れないから普通に就職するのは無理だろう、だから多少の犠牲を強いても文句は言えないだろう、と思われているのだ。確かにそれは反面真実だが、私は地域のことに詳しくなるためと、将来自分がやりたいことを仕事にして生活していくための勉強の時間を持つために今の仕事を選んでいるという積極的な理由があるのだ。だから、車の免許を取って、自分の実力を何らかの目に見える形にすることが必要なのだと思う。「40過ぎのかわいそうな独身女」というイメージから「自立した成熟した女性」への転換を図る必要がある。いつでも呼べば黙って来ると思われてはいけない。
今の日本は、この「高をくくる」という心情の人が多いと思う。「どうせ〜だろう」と弱者をないがしろにし人権を尊重していないのだ。子どもに対しても、若者に対しても、強者である大人が犠牲を強いているように思う。派遣社員が正社員と同等の仕事を安い賃金と社会保障なしでさせられている現状を見よ。これで不満がないほうがおかしい。サービス残業だって、今までは一生その会社にいられるという保障があったから公然と認められてきたわけだが、今は仕事を失わないためという切実な理由による犠牲になってしまっていると思う。強者が弱者に犠牲を強いる社会、それが現状なのだ。「努力した人間が報われる社会」ではなく「強い者が報われる社会」なのではないのか?
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