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板倉鞆音(1907−?)の詩の特徴を一言で言えば、「ウェットさ」とでもいうような感じかもしれない。なんだか小川未明やメーテルリンクを思わせるところがあるように思うのだが、小川未明(1882−1961)が影響を受けたメーテルリンク(1862−1949)でも、初期の第一詩集「温室」(1889)や、演劇の「群盲」(91)「ペレアスとメリザンド」(92)「室内」(94)「タンタジルの死」(95)という感じがする。メーテルリンクは、最初の演劇「マレーヌ姫」(1889)が、シェイクスピアに比肩すると激賞され、演劇に野心を燃やしたそうだ。エリナー・ファージョンの”運命の人”エドワード・トマスはメーテルリンクを研究していた(注1)。 一方の片山敏彦(1898−1961)は、同じメーテルリンクでも、童話劇「青い鳥」(1909)やモラリストとしての論文「貧者の宝」(1896)や「蜜蜂の生活」(1901)などの書かれた後期という感じがする。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF 以上は、あくまでも私の直観、”モグラのたわごと”ですが。 http://www.geocities.jp/jevient/ ←こちらは以前muginomegumiさんに紹介していただいたHPです。 注1・「想い出のエドワード・トマス」(エリナー・ファージョン 白水社) 339、365p (参考文献 「フランス文学史」(白水社)) 付記 小川未明は、明治41年(1908)に新ロマンチシズム文学研究の青年作家の集い「青鳥会」を創設した(26歳)。 片山敏彦はメーテルリンクの「貧者の宝」(新潮文庫 1952)を翻訳出版している(54歳)。 http://homepage3.nifty.com/nada/page044.html ← メーテルリンク翻訳年表(明治・昭和戦前まで) 大佛次郎(1897−1973)が妻酉子と出逢ったのも、メーテルリンクの「青い鳥」の上演がきっかけだった。妻原田酉子(芸名・吾妻光)は結婚前は新劇・映画女優として活躍し、大正9年(1920)の民衆座第1回の「青い鳥」の公演では、光の精を演じた。チルチルは水谷八重子、ミチルは夏川静江だった。大正8年大佛次郎は自分たちの劇団テアトル・デ・ビジュー(宝玉劇場)を立ち上げた。アメリカ帰りの演出家、畑中寥波が民衆座第1回公演として「青い鳥」を取り上げたが、丸善で見つけては買い込んでいた演劇関係書の中に「青い鳥」の舞台美術や衣装を載せたモスコー芸術座の上演本を持っていた大佛次郎は、畑中の公演に役立つならと提供を申し出た。このような背景があって妻原田酉子と知り合う(23歳)。(「新潮日本文学アルバム63 大佛次郎」参照) 気がつけば、大佛次郎の奥さんも”酉子”だから、「小鳥ちゃん」なんですねー。でも、籠の中の鳥だったようですが。 ちなみに私の曾祖父(1882−1965)は小川未明と同じ年の生まれです。明治15年。誕生日は8月31日です。 |
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